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私の京都散策「源氏物語-光源氏が歩いた都-(1)」を巡って。

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源氏物語「桐壺」~「花宴」を誘う

源氏の華麗な恋物語が展開する青春前期。時の帝の第二皇子は「光る君=光源氏」と呼ばれるスーパースター。義理の母、藤壺女御を慕いつつ、葵上を正妻に迎え、六条御息所、夕顔などと逢瀬を楽しみ、のちに紫上となる美しい少女との出会い。そして藤壺女御との許されざる逢瀬と不義の子の出生。

やがて、政敵の娘、朧月夜との恋が、源氏を窮地に追いやる。

京都御所

建礼門

建礼門

JR京都駅から京都市営地下鉄に乗り、丸太町駅下車。1番出口を出れば京都御苑の北東に出ます。

今出川通りを東に進むと2つ目が「堺町御門」です。門をくぐって真っ直ぐ北に向かうと建礼門が見えます。途中、右側に大宮御所(仙洞御所)が見えます。

烏丸通りを北へ進めば、2つ目の門が、有名な「蛤御門」です。

京都御苑は、緑に囲まれた四季折々の季節が楽しめる場所です。

所々に旧宮邸の史跡碑があります。

★京都御所

平安時代の千本丸太町交差点北東にあった天皇の居所である内裏を引き継ぐのが現在の京都御所です。

内裏は安貞元年に焼亡した後は再建されず、南北朝時代になって里内裏の一つ東洞院土御門内裏が北朝の皇居となり、その後、この地が御所のもとになりました。

御所はその後も焼失・再建を繰り返し、安土桃山時代から江戸時代にかけて織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らが再建に努めました。

明治2年、明治天皇の東京遷御にともない、周辺の公家屋敷も東京に移り、後に御所周辺の空き家となった公家屋敷を撤去し、現在の京都御苑に整備されました。

紫宸殿

紫宸殿

京都市上京区京都御苑3
春・秋各5日間のみ一般公開、この期間以外は事前に参観申し込みが必要です。

大極殿跡

大極殿

JR京都駅から京都市バス101系統に乗って約20分。千本丸太町で下車。

千本丸太町交差点北側に、かつての豪壮華麗な朝堂院の正殿「大極殿」が聳えていました。交差点北西側の解説板など、周辺にはいくつもの平安宮跡顕彰施設が設置されています。

交差点を北へ50mほど進んだ西側の児童公園内に、平安奠都千年記念事業で明治28年に建立された大極殿遺跡の碑があります。

発掘調査で石碑は大極殿院の北側回廊跡の上に立っていることが判明しています。

大極殿解説

クリックで拡大

京都市上京区千本通り丸太町

★平安京内裏内郭回廊跡

また、千本丸太町交差点を北へ200mほど進んみ、下立売(しもだちうり)通りを東へ進むと、天皇の居所である内裏跡があります。平安京の内裏は2重の郭で囲まれており、国史跡の部分は南北72丈・東西58丈の規模をもつ内郭の外周をめぐる回廊に相当し、ここより東が内裏跡となります。

平安京内裏内郭回廊跡

平安京内裏内郭回廊跡

ここから更に東へ100m、左手に蔵人町屋跡、右手に内裏内郭の正門である内裏承明門跡などの石碑があります。

神 泉 苑

大極殿跡から千本通りを南に進むみ、中学校を東に曲がると、二条城に到着します。

二条城のお堀端を東に歩き、神泉苑通りを南へ1筋。御池通りを少し東に進むと、神泉苑の鳥居があります。

神泉苑

毎年、その年の恵方にお社が向けられる神社「歳徳社」が有名です。

延暦13年の平安遷都の際に大内裏の南に接して設けられた禁苑で、南北4町、東西2町にもおよぶ広大な敷地で、池を中心とした大庭園で池の周囲には正殿である乾臨閣を始め楼閣や釣殿、滝殿などの殿舎が並び、天皇や廷臣の宴遊の場として用いられました。

恵方社「歳徳神」

恵方社「歳徳神」

今昔物語には、天長元年、西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が勝ったという説話が載せられています。

中世以降に荒廃し、慶長8年、徳川家康が二条城を築城するに至って苑の北部が城の敷地に割かれ、以後も町屋の進出で規模を縮小しました。

京都市中京区御池通り神泉苑町東入る門前町166

平安神宮

JR京都駅から京都市バス5系統、平安神宮前下車、徒歩約3分。
岡崎公園一帯にあり、赤い大きな鳥居が壮大です。神宮前の道も整備され散策にはぴったりの名所です。

平安神宮

明治28年に京都の総鎮守として、京都復興の祈りをこめて創建されました。

平安京大内裏の正庁である朝堂院を、原型の8分の5サイズで復元しています。

本殿に、桓武天皇と孝明天皇を祀り、周囲に東・中・西・南の4つからなる神苑があり、春は桜、5月は菖蒲など美しい庭園が広がります。

東神苑

東神苑

特に広大な栖鳳池を拝した東神苑は、ドラマの撮影とかでも使われる見ごたえのある美しい光景が見られます。

京都市左京区岡崎西天王町
神苑:大人600円、子供400円

夕顔の墓

夕顔

四条烏丸から東へ、堺町通りを南へ進みと、高辻に仏光寺が見えます。更に少し下ると石碑がありますが・・・。

夕顔は「源氏物語」に登場する作中人物で実在していないが、堺町通り高辻下る西側の民家の軒先に墓があります。
格子にさえぎられて見落としやすい場所ですが、碑のほかに、内部に墓石もあります。
私も見落として、数回通り抜けてやっと見つけました。

京都市下京区堺町通り高辻下る夕顔町

城 南 宮

JR京都駅から京都市営地下鉄に乗って「竹田駅」を下車。徒歩約15分または市バスに乗り換えます「城南宮東口」下車、徒歩3分。

城南宮

平安時代末、鳥羽・城南の地には白河上皇による壮大な離宮が造営され、いわゆる院政が行われました。

以降、鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と、4代150年にわたって政治・文化の中心として賑わいを見せました。

城南宮神苑は、「源氏物語花の庭」として、日本庭園の様式の変遷を味わうことができます。

京都市伏見区中書島鳥羽離宮町7
神苑:大人600円、子供400円

渉成園(枳穀邸)

JR京都駅から烏丸通を北に徒歩で進みます。約5分で東本願寺へ到着。

東本願寺から烏丸通りを渡って正面通りを東へ。東本願寺別邸の渉成園に突き当たります。周囲は枳殻が植えられていたことから、通称「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれました。

渉成園

源融が、奥州塩竈(現、宮城県塩竈市)の景を移して難波から潮水を運ばせたとうい六条河原の院苑池の遺跡の一部と伝えられています。

その後、寛永18年徳川家光によって新屋敷として寄進され承応2年13代宣如のときに石川丈山が作園したのが渉成園の始まりです。
また、渉成園の北東側、木屋町通五条下る東側には「源融河原院址」の石碑があります。

京都市下京区下珠数屋通り間之町東入る東玉水町
参観者協力寄付金500円以上

本 覚 寺

渉成園を出て、東へ、河原町通りを北へ進みます。徒歩10分で河原町五条の交差点。東には「弁慶と牛若丸」の像がある五条大橋です。交差点を左(西)へすぐ。

本覚寺

五条通りに隣接する本覚寺は仏性山と号し貞応元年に源実朝の夫人本覚尼が、西八条にあった遍照心院内に創建した寺です。遍照心院は、清和天皇の孫にあたる六孫王源経基の子満仲が、父の墓所に一宇を建立したのが始まりといいます。応仁・文明の乱で荒廃したが、細川政元によって高辻烏丸に再建。さらに天正19年に現在地に移りました。

ここは、嵯峨天皇の皇子、光源氏のモデルとされる源融の河原院塩竈の旧地と伝えられています。境内には源融像と本覚尼像を安置する塩竈神社があり、墓地には八文字屋本の全盛期を築いた浮世草子の作者八文字屋自笑の墓もあります。

通常は非公開ですのでご注意を。

京都市下京区富小路五条下る本塩竈町558

「源氏物語-光源氏が歩いた都-」続きます。

源氏物語-光源氏が歩いた都(2)→
源氏物語-光源氏が歩いた都(3)→
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